私が20年以上パチンコ中毒だった時の話 その2

パチンコ中毒

社会人になって、自由になるお金が増えた私は、ますますパチンコ・パチスロにのめりこむ様になりました。完全にパチンコ中毒患者でした。

今では「パチンコ依存症」とか「ギャンブル依存症」という病気で片付けられそうですが、私の行動はそんな簡単な言葉で片付けられないほど重症でした。

負け続けでしたが、大当たりの瞬間はそれを覆す程の快感が襲ってきます。そしてその快感を求めて毎週毎週負け続けるのです。大負けした後に、何度も何度もやめようとしたのですが、1週間も我慢できませんでした。

今回の記事は、その後について書いてみようと思います。

「私が20年以上パチンコ中毒だった時の話」その1はこちらから↓

前回の続き。

パチンコ中毒の重症化へ

私の20代30代は完全にパチンコに搾取された時代でした。

搾取されたというと被害者のようですが、当時の私は完全に中毒者、しかも重症でしたので

「自分はパチンコに搾取されている」
「出さないパチンコ店に何か仕返しを(怒」

この様に考えることが多く、どうやってパチンコ店に復讐できるか考えていました。

今でしたら「行かない事が最大の復讐」であるのですが、当時の私はそんな事を考える頭も余裕もなかったのです。

どうやってこの店を懲らしめてやろうか・・・とあくまで自分は正義!店は悪!という状態でした。

そしておそらくパチンコ中毒時代に培った精神的な病状がいつも出ていました。

ギャンブル依存症のチェックリスト

問1 ギャンブルの事で頭がいっぱい
問2 自由になるお金の使い道はギャンブルである
問3 ギャンブルのせいでイライラする
問4 重要な生活資金をギャンブルに回したことが有る
問5 ギャンブルのせいで借金がある
問6 家族に嘘を言ってギャンブルをしたことが有る
問7 財布が空になるまで打つ
問8 脱ギャンブルに挑戦したがだめだった

この中で3つ以上あてはまれば「ギャンブル依存症」だそうです。

私の場合は3つどころか全部当てはまりそうな勢いでした。

特に問2,3,4,5,8に関しては何度も何度も経験したことです。

パチンコ中毒時の症状が日常生活に現れる

1.イライラが止まらない

出ない時はとんでもなくイライラします。

パチンコを打っている時だけイライラするのはまだいいのですが、それが日常生活にも頻繁に出るようになりました。

例えば車の運転中、前にトロトロ走っている車がいると、ここに書くのも憚られる位もう酷い感じでイライラしていました。自分でも精神異常者だと思います。

仕事でも物や人に当たり散らしたり、最低な人間でした。

パチンコをやめた今ではイライラとは正直無縁になったと思うのですが、何故もっと早くやめられなかったのかと後悔しきりです。

2.常に自分は被害者であるという思考

自分がこんな苦しいのは店が出さないからだ!
周りだけ出て自分だけ何故こんな目に・・(泣

こういう事を結構な頻度で考えていました。

今ある状況は全て自分の責任、決して誰かが自分を貶める為に行っている行為ではないのですが、当時の私はそのような考えに至らなかったのです。

自分でお金を財布に入れ
自分で決めた店に行き
自分で台を選んで
自分の打ち方で打つ
そして出ないのは店の責任。

自分はベストを尽くした!あくまでも悪いのは店!

この様な思考から脱出するのに20年以上もかかってしまったのです。

そしてそれが日常生活にも表れたのです。

何か無くなると声には出しませんが「誰かが隠したのか?」とか
昇給が少ないと「上司がクソだから・・」とか
「なんの目的でこんな嫌がらせをしているのか?」など

常に誰かが私を攻撃して、自分はいつも虐げられる立場なんだと思い込んでしまっていたのです。

3.自分に一切自信が持てなくなった

自分の選択を信じて、自分の力を信じて、と巷で目にするこの言葉は私には理解できませんでした。

常に自分の状況は他人が意図的に変化させる、自分の力など有って無いような物だ、といつも感じていました。

例えば、合格率一桁の難しい国家試験を一生懸命勉強して一回で合格しましたが、この時も自分を一切褒めることはなく

「いや、これは絶対にまぐれ」
「採点ミスか何かだろ」
「鉛筆転がしたのが良かったのかなw」

と長年の虐げられた?状況から察するに、自分にはとてもこんな事を達成できる力など無い!これは他人が仕組んだ事だ!と良かったことも悪かったことも、全て他人の意思のまま、自分の力など何もないという思考に染まってしまいました。

もうパチンコやめるのは無理なんだろうな

ニート君
ニート君

もう無理(泣 やめられない

残業をいっぱいして、給料を稼いでも大体無くなっていき、強制的に貯金しなければ全て使ってしまうという金銭感覚でしたので、銀行口座にはいつも3桁程度のお金しか入っていませんでした。

3桁万円ではありません。

ATMで下ろせない3桁円です。

毎月、給料をもらってから半月後はこの状態でした。

それでも、そんな状態に慣れてしまったのか、特に違和感を感じることも無く日々過ごしていたと思います。パチンコ中毒=パチンコ依存症という名前が付きだしたのもこの頃でした。

パチンコをやればやるほどいわゆる「世間の普通」からはかけ離れていく事にも気づいていませんでした。

一時期本気で依存症治療の病院やGAと呼ばれる施設に行こうかなと思っていたのですが、それよりも打ちたい気持ちが強く、完全に病気でした。

パチンコ中毒10年以上で出来た借金

当然、日々の生活はカツカツでした。

酷いときには1か月で10万円のキャッシングをしたこともあります。借金は膨れ上がって、自分でも把握できない位になっていましたが、有る時、EXCELを使ってまとめてみた所、とんでもない数字が出てきました。

借金の額は車のローン含め一時期最高で

400万円

までいきました。銀行信販サラ金系で300万近くあったと思います。

ネタではありません。

毎月のサラ金の支払いは当時出たばかりだったと思いますが「モビット」という信販会社でまとめ、返済を一本化しました。というかよくそこまで借りられたなぁ・・。

勤めている企業は誰でも知っている会社でしたので、とりっぱぐれが無いと思ったのでしょう。ここまで借りてても返済滞納は一回も無かったので、優良カモと見られていたのかも知れません。

パチンコ中毒で400万の借金を抱たまま30代へ

そこまで行っても後の記事で書くであろう「あるもの」に出会わなければ、私は一生この搾取システムの奴隷だったと思います。

お金に対するストレスは常にありました。

無くなっていくのではないか
誰かに取られるのではないか
今月はまた負けまくるのではないか

今月これだけで生活できるのだろうか
借金返済できるだろうか

毎日毎日こんな事を考えていました。せめて事故でも起こして入院したらパチンコに行かずに済むとか、そんな事をいつも考えてた記憶があります。

自分でも何をやっているか、何を考えているか分からないほど混乱していました。

周りには家庭を持ち、家を建て、いい車に乗っている人間がいる中、私は自分を苦しめる為にお金を使っていたのです。

そして、30代後半のある時、私はとんでもない本と出合います。

この本が無ければ私のパチンコ中毒は今も続いていた事でしょう。

それは次回の記事で書きます。

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