私の家は昔から貧乏で、何か物をねだったり何か習い事をしたいといっても、母親から返ってくる言葉はほぼ間違いなく「 どこにそんなお金あるの !!」という物でした。ゲームや漫画、いわゆる普通の周りの人は持っているような物でさえ「 どこにそんなお金あるの! 」と言われて買ってもらえなった日々。今回はその後どのような悪影響を及ぼしたのか書いてみます。
どこにそんなお金あるの!に込められた裏の意味
冒頭文の様に何をやるにしても言われた「どこにそんなお金あるの!」。この言葉は親にとっては一撃で子供の欲望を諦めさせる便利な言葉です。
小遣いでは買えない何かが欲しい、漫画も読んでみたい、その度にこう言われるので子供心にこう思うのです。
何かを欲しがってもお金がないから買えない
親としてはこう言い続けておけば、そのうち子供がワガママが言わなくなるとでも思ったのでしょう。そしてついでに自制心でも育てば・・なんて事を思っているのかも知れません。
本当は親としてもお金が有ったら買ってあげたいのは山々なんでしょうが、親も子供のお願いごとに対する口癖の様になっている場合もあるので、この場合は注意が必要です。
そしてこの「どこにそんなお金あるの!」という言葉は、親の一時しのぎだけではなく、意外な悪い効果を生む結果になるのです。
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お金が無いから何も出来ない人生になってしまう
こう言われ続けた子供は、大人になってもお金のせいで制限のある人生を送りがちです。
- お金が無いから何も出来ない
- お金があればなぁ・・・
- 〇〇なのはお金のせいだ
この様な偏った思考を持つ人間になりがちです。
何かをやろうとしてもまず予算だの使える額だのお金を計算し、お金基準で出来るかできないかを判断するようになります。
ここでは「どうやったら出来るか」「何か方法はあるはずだ」という思考は一切生まれません。
自分の持っているお金の額だけで実施可能か不可能かを考えるクセが子供の頃より付いているのです。
また、お金を判断基準としていると、そこには「工夫」という物が発生しません。
何とか手立てはない物か、こっちを試してみるか、という気心を持った子供ならいいですが、大体は母親にこういわれてションボリしながら諦めるのです。
そうしていつの間にか目的を達成するための方法を考えるのではなく、出来ない方法を一生懸命考える人間になってしまいます。
お金が無いから執念で何とかした話
私の家は当時貧乏でした。当時出たファミコンなんかも2年くらいねだり続けて買ってもらった記憶がありますが、色々なゲームで遊んでいると、攻略本なんかが欲しくなるものです。
当時私はハドソンソフトの「ボンバーマン」というソフトが好きで遊んでいました。
このゲームはあるパスコードを入れると無敵状態で始まるというのが有り、当時少年たちのバイブル的雑誌であった「コロコロコミック」にそのパスコードが載っていたのです。
私は母親に「コロコロコミック買いたいから300円ちょうだい?」と聞くと、やはり母親からは「どこにそんな金有るの!」なんて返事が返ってきます。300円も無いのかうちは・・
しかし急がないと来月号が入ってきて無敵パスコードが載っている今月号は無くなってしまう、なんとかならんかと考えに考えました。
そうして私が思いついたのは
パスコード暗記すればいいんじゃね?
という事で小学校低学年の分際で20桁のパスコードを立ち読みで暗記する事を思い立ったのです。
立ち読みしながら100回位は口に出して繰り返したでしょうか。
BOMNIHCDCHLOBAKGKLOA
40年近くたってもまだ覚えているという事は強烈に脳にこびりついているのでしょう。
これが私のお金が無くても何とかする、の初体験だったような気がします。
先立つものはお金ではなく執念なのかも
あれから40年近く経った現在、お金のせいで諦めた事は多かったですが、それよりも何よりもまず
「目標を達成したいという執念」
これに勝るものはないと思います。お金が無くて出来ない、という物だったらその程度の夢や目標。
目標達成のための執念が有れば、まずやり方を何通りも考えると思うのです。
お金はそのあと。まず先に強い意志、執念。これを子供の頃に学んだ気がします。
お金さえあればなぁ・・・は危険な口癖
こういう口癖を持っている方は要注意です。
お金さえあれば何でもできる、こういう人はお金を持ってても何もしません。
自分の行動の責任をお金という外部に依存しています。
お金さえあれば何でもできる、お金が無いから何もできないは大間違いで、前述のとおりまずは何としても目的目標を達成したいという執念。
方法は無限にあるはずです。
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