脳の事を勉強するようになってから、よく幼いころの事を思い出します。
「幼児期~7歳位まで植え付けられた経験・記憶がその後の人生を左右する」
こんな事が書いてある本が多いのですが、幼いころを思い出して分析すると、ある記憶が私の今の人生に明確に影響を与えていることが判明しました。しかもとんでもない悪影響です。
それは
「お年玉を全部親に没収された」
「入学祝を全部親に没収された」
これです。ちょっと前までの私のロクでもない金銭感覚を作ったのは、間違いなくこの出来事です。
楽しみだったお年玉
クリスマスからお正月にかけては、冬休みということもあり、子供にとってはうれしい時期だとおもいます。私は近所のスーパーやおもちゃ屋のチラシなんかを目にして、
これいいなぁ、あれも欲しいなぁ
お年玉はいくらもらえるのだろうか、
等と妄想に耽っていました。
親戚の数はそんなに多くないけど、自分のお小遣いとは別次元の手にする金額の大きさ、年に1度の「臨時収入」で何を買おうか楽しみで仕方なかった記憶があります。
ショックすぎたお年玉の没収
お正月に、父方の実家に帰ると、親戚中が集まり大人達は皆で酒盛り。
私たち子どもは親戚のおじさんからお年玉をもらいました。
「わー!ありがとうおじちゃん!!!」
月の小遣いは非常に少なかったけど、この時だけは硬貨ではなく「札」でもらえるのです。
ぽち袋に入ったお金を眺めながら、何を買おうかなとウキウキ気分だった時に母の意味不明な一言が私を地獄に落とします。
「もらったお年玉、お母さんが預かるから全部出しなさい」
もちろん私は反抗しました。ずっと欲しかった玩具やゲームもあるし、何故?何故僕のお年玉を取るの??預かるって何?
その後の母のもう一言が非常に悲しかったのを覚えています。それは
「他の子にお返ししなければならないでしょう?だから渡しなさい」
あんたさっき預かるとか言ってなかったか?
しかし、裕福ではなかった私の家。他の親戚にお年玉を渡さなければならないのはわかるが、何故私のお年玉が財源なのか・・・
これは仕方ないのか、そういう物なのか、と泣きながら親に渡しました。
あの時の事は鮮明に覚えています。
布団に入ってからもシクシク泣いて、親父に「うるさい!」とか言いながら叩かれました。
次の日、母親と親戚が話している近くを通ったりすると、母親が
「ほら、お年玉貰ったんだからお礼しなさい!」
と私に催促しましたが、私は
「貰ってない。取られた。何そのお年玉って」
と素通りしました。この後母親と親戚はギャーギャー言い合いしていましたが、何を話していたのかは記憶にありません。
その後母親に「なんであんな事言ったの!!!」とか怒られました。今考えれば私の母も軽く知的障害持ちだったのかもしれません。
もちろん、私が大きくなっても預けているはずのお年玉が返ってくる訳がありません。
そんな事が小学生の間、ずっとそれは続き、正月に実家に行くのが苦痛でした。
それでも、全額没収は何とか阻止しました。一部の人からもらった分は黙っていたのです。バレたら取られる、無くなったら何も買えない
恐怖でした。
お金は取られる物
冬休み明けの学校でお年玉の額を報告したりする友人を見て、泣きそうになりながら悔しがったのを覚えています。
この後、私は「お金は誰かからもらったら取られる物」というお金に対する間違ったイメージを持つようになりました。
中学生、高校生になってからも親戚などに入学祝とやらをもらったのですが、いずれも
「お返ししなきゃならないから」
という理由で全額没収されました。
全額お返しに使うつもりなの?バカなの?
ちょうど私が中学生の頃、両親が離婚し母親一人で子供の面倒を見なければならないので、ある程度は理解出来るようになりましたが、やはりこの時に心の底で燻っていた無念さは変な形で表れてくるのです。
芽を出し始めた金銭感覚の異常さ
お年玉の話に戻すと、小学5~6年生の頃になると流石に私も成長したのか、お年玉をもらったらその中から少し抜いて自分の懐に、親が没収に来たら残りを渡すという戦法を覚えるようになりました。
お陰で没収されても数千円は懐に隠し持っているという状態です。
この頃何を考えたのか私は異常な行動に出ていました。
「お金は早く使わなかったら取られる!」
「はやく使わないと!!」
残る物(プラモデルや漫画)とかで使うと母親にバレるので、買い食い、タクシーの拾い乗り、友達に奢りとか小学6年の分際で何をやってるんだと怒られそうな意味不明なお金の使い方をしていました。
完全に金銭感覚がおかしくなってたのか、押さえつけられたお金に対する反動なのか、とにかくお金を早く使わないと!なくなってしまう!という思考になっていた気がします。
この辺りの異常さは、間違いなく「お年玉没収」がトリガーになっていた気がします。
社会人になってからも続いた金銭感覚
いつか書こうと思っているのですが、私は数年前まで重度のパチンコ中毒患者でした。
それも高校生の頃からです。18歳未満は出入りできませんが、当時はコンプライアンスだの今ほどうるさくなかった時代です。友人は学ランで行っても特に補導とかされなかったと言っていました(笑
高校生になったらアルバイトが出来ますが、バイト代は全てパチンコに消えていました。
お金をどうやって増やすか、それはパチンコしかない!と信じていたのでした。
アルバイト代をもらっても「貯める」という考えが思い付かなかったです。貯めたらどうせ取られるんだろ?という思いがどこかにあった気がします。
そして不思議なことに、「貰ったら取られる」「貯めたら取られる」と思っていたら本当に現実となる事が多いのです。
私は「お金は貰ったら全部取られる物」という間違った思い込みのままその後長い人生を過ごして行く事になります。
この辺はいつか書こうかと思います。
私は子供時代にどうすれば良かったのか
私は自分のお金を守るという意識が低かったのかもしれません。
母の手に噛みついてでも自分のお金を守ってあげなければならなかった。ただ、そこまでする理由もなかったと思います。
これは犯罪行為ですが例えば没収される前にお札を目の前で全て破り捨てるとか。
そういった意思表示をしておけばその後の金銭感覚も違った方向に進んでいたのかもしれません。
また、私は何故か幼いころより他の兄弟より欲張りでした。
何故そうなのかは今思い出している最中なのですが、こういった私の性格も捻じ曲がった金銭感覚を育てた要因の一つなのかも知れません。
そして私のお金を奪いごめんねの一言も無かった母親
私は社会人になって20数年経ちますが、未だに親に仕送りだのお小遣いだのをあげた事はありません。
お年玉をあげる立場になって
非常に辛かった過去のお年玉の記憶。
私には子供はいませんが、親戚の子供、兄弟の子供にお年玉は普通にあげます。
もらった子供が後で「親に全部取られた」とか言おうものなら、親に向かって「今すぐ全額返してくれ」というつもりです。
その他に、全く関係ない夏とか秋とかに臨時でお小遣いを渡したりするのですが、
「〇〇君。はいこれお小遣い」
とポチ袋に万札入れて渡します。子供は大はしゃぎ。
が、渡す前に
「何に使ってもいいけど、何に幾ら使ったかおじさんに必ず教えてね」
と一言いいます。何人かにこの事をやっているのですが、甥のA君は私の幼少期と同じように買い食いとかプラモ、フィギュア買ったとか。
姪のBちゃんは本を買った、服を買った、そして半分は親に預けたとの事。
同じお金でもお金に対する姿勢や育てられた環境によってこうも変わるんだなぁと思います。
多分A君は久々の臨時収入で抑圧された欲望が爆発しちゃったのでしょう。それに対して修正させるとか、道を示すとか、偉そうなことはしていません。
お金の使い方を教えるのは親の役目です。学校では教えてくれません。
ただ、子供たちが
「何故おじちゃんはお小遣いくれる時あんな事を聞くのかな?」
と思ってくれたら私も満足です。
いつかきっとその理由も分かってくれると思います。
おわりに
過去を書き換える事は出来ませんが、それに対する感情や想念を変える事は出来ます。
起こったことは事実として、それに対する思いを上手く書き換えて行けば現在も変えられるのではないのかと思います。
また、お年玉を親が預かるという行為については、一部を防犯上預かるというのは理解できますが、もし私の親のように全額没収し返さないと、おそらく子供は分かった返事をしながらも心の中で傷ついている事でしょう。
あなたの生活が苦しいのを子供に責任転嫁しないでください、と言いたいです。
子供が大金持つとろくな事は無い、だから私が管理する!というのも違います。
子供にお金の使い方を教えてあげるのはあなたの責任です。
間違ったろくでもない使い方でもいいじゃないですか。「浪費よりも自己投資がいいよん♪」と言う様に使い方を教えてあげるだけでいいです。
こじらせたら私みたいな大人になりますよ(笑
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