私は若い頃「 金が無いから何も出来ない 」というのが口癖でした。それに加えて「時間もない」という事をセットにして沢山の機会を逃して生きてきた様な気がします。今は全くその様な事を考える事もないのですが、このような口癖が付いてしまった理由と脱却したある出来事について書いてみようと思います。
口を開けば「 金が無いから何も出来ない 」
私は若い頃から重度のパチンコ中毒でしたので、常時金欠状態でした。
払うべきものはしっかり払っていたのですが、残った生活費が心許なく、常に「お金がない」「お金がないから何も出来ない」という事を口走っていました。
友達から飲み会のお誘いが有っても「すまん今日金ない」と心で謝りながら誘いを断った事も一度や二度ではありません。
何か始めようと思ってもまず先に「金ないから無理」という思いが出てきて、どうやったら出来るかなんて微塵も思いませんでした。
結局何にも手を付けずただ給料日を待ち、そしてまた給料日以降は「金ない金ない」を連呼してた記憶があります。
金と時間さえあればやるんだけどねw
金さえあればなぁ・・・
時間さえあればなぁ・・・
いつしかこの様な事を考えるようになりました。金と時間さえあれば何でも出来る。今の自分に足りないのは金と時間だけ!
ところが、それから数年が経ったのち、パチンコ中毒から生還し、金銭的にも時間的にも余裕が出てきた筈なのに、当時やりたかった事、時間と金が無くて出来ないと思っていたことを全くやろうとしないのです。
今は金も時間もある、でもあの時やろうと思っていたことをやらないのは何故だろう?と考える様になりました。
先の記事で書いた「貧すれば鈍する」が、貧乏を脱出した後もしばらく尾を引いた状態でした。
金が無いから何も出来ないという思考
私はまず自分の思考と向き合ってみました。
どこそこに旅行に行きたい、あれが欲しいこれが欲しい、色々な欲望を頭に思い浮かべ、それを達成する手段を考えてみます。
その時にこんなことを考えてるのに気がつきました。
- 「幾らかかるんだろう?」
- 「あれとコレを買わなければ」
- 「あれが足りないこれが足りない」
無いものが揃えばそれを達成できる、その為にはまず金だ。金さえあれば達成可能!と、まず目的達成のためには金が必要!という思考に汚染されていたのです。
そうして物事の実施可否基準を「金が有るか無いか」でまず考え、幾千とある他の達成するための手段など考えもしなかったのです。
今思い出すと、この様な口癖が身についてしまった以降、金があっても時間が有っても何もしなくなった気がします。
いつしか最初にお金最優先の思考が身についた
例えば辺鄙な所に旅行に行って非日常を味わいたい、という願望を持っていたとします。
まず目的地と交通手段、バスや電車、高速代などを算出。現地での食事代と宿泊代、恋人などいる場合はざっとその2倍という感じで必要な金額を算出します。
そして予算額と比較し、出来るかどうかの可否判断。
余裕があったら何も問題ないのですが、余裕が無い場合は切り詰める箇所を考えます。交通費は新幹線でなく高速バスで行くと数千円安く行けるな・・時間は倍以上かかるが、とか。
そもそも目的は「非日常を味わう」という事で、その為の手段が「旅行」だったのですが、この時私は目的も手段も忘れ、それよりも「お金がいくらかかるのか」のみ考えていた気がします。
目的があやふやであり、手段もお金基準で考えていたので、終わった後の充実感なども全くなく、お金はというと、当初考えていたプランより大幅に多く使ってしまったなんてことも一度や二度では無いのです。
このように私はお金基準で行動していたため、実施可否判断も、目的達成もその過程も全てが中途半端な状態になるのでした。
「お金が無いから何も出来ない病」から抜け出す
こんな日々を過ごしてると、前述の様な口癖がつくようになります。
お金さえあれば、時間さえあれば。
でも現実は
お金と時間があっても何もしない、まともに出来ない
という事でした。
ここから脱出する為には口癖もそうですが、日々の思考も改めなければなりません。思考と習慣を以下のように改めた結果、いつしか私はこの口癖を使わないようになりました。
今あるもの、今の環境で何とかならないか考えてみる
お金がなくても達成したい目標や、やりたいことがあるのなら、まずお金は一旦思考の外に追い出します。
やりたい事が先、お金は後!という考え方です。
やりたい事には目的が存在するので、そこを明確化する事の方が大事です。
そうすると他の手段でいけないか、代わりにこんな案でいけるのでは無いかと思考の幅が広がってきます。
あれが無いから、これが無いからと物がないから出来ないと言うのも同じで、代用品や格安で入手する方法なんかいくらでも転がっています。
それを見つけられないのはやはり最初にお金ありきという思考が脳を占拠しているからです。
物や手段は自分の周りに溢れているという事を、私は断捨離によって気付かされたと思います。
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それでもお金の有る無しでやりたい事が左右される時
こういう時は本心からやりたいとは思っていないのです。
お金によってやりたいことが出来ないと判断してしまうのであれば、それは本心が望んでいない大した願望ではなかったのです。
そして本心が望んでいない事にお金をかける時というのは、大体が浪費になってしまいます。
逆にいうと、お金がなくても絶対にやりたい!何としてでも達成したいという目標なんかがあれば、それは本心が望んでいる事なのです。
まとめ
お金が無いから何もできないというのは妄言
お金が無いから何もできない人はお金があっても何もしない
お金を先に考えてしまう様な願望は大した願望ではない
お金がなくてもやりたい事が本来の願望
私も現在「お金がなくてもやりたい事」というものが一つだけあります。それはもし明日死んでしまうなら今日にでも絶対にやりたい事で、まさに「全てを捨ててまでやりたい事」なのですが、コロナの現状では事実上不可能になっています。
そこにはお金も当然ながら絡んできますが、金の大小はあまり気にしていません。
お金が有る無しに関わらず達成したい事、これだけ有れば人間は十分に幸せになれると思うのです。
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