願いがよく叶う神社と叶わない神社の違い

願いが叶う神社

○○県の何とかという神社は願いが叶う!とか反対に△△という神社は願いが叶わないご利益の無い神社という話をたまに耳にします。ネット上には叶いやすい神社ランキングみたいなものもあります。実際に神社によって願いが叶ったり叶わなかったりする違いはあるのでしょうか?

結論からいうと神社によって違いはない

最近ではこんな本とかある始末ですが、結論からいうと、鳥居が腐りかけている神社でも、出雲大社、伊勢神宮の様な著名な神社でもあまり変わらないということです。

これにはしっかりとした理由があり、後述しますので良かったら読んでください。

願いを叶えるためのメンタルに関してはこちら

神社にお願いしたことを今でも覚えていますか?

神社に何かをお願いをするタイミングとしては

「お正月の初詣」

が一番多いのではないでしょうか?

事実大晦日から元旦にかけて有名どころの神社界隈は人でいっぱいです。

普段神様仏様を信じていない人もイベントとして一度くらいは足を運んだ事があるでしょう。

その時お願いしたことを、数年経った今でも覚えていますか?

そしてそれは叶いましたか?

おそらく大部分の人が「何だっけ?忘れた」とか「叶っていない」とかいうと思います。

折角1年に1度だからとお賽銭を奮発して諭吉とか稲造を賽銭箱に入れて渾身の願いを投げかけたにも関わらず、下手したら1週間後には初詣に行ったことすら忘れている状態です。

あれ?何お願いしたんだっけ?

実はこの「何願ったか忘れた」というのが願いが叶わない理由です。

本来神社というのは何をする所?

神社は「お礼」をする所です。お願いはその後のついで扱い。

皆様も神社に行き拝殿の前まで行くと、神社によって違いはありますが

「2拝2拍2拝」

みたいなことをするでしょう。2回頭を下げ礼をし、2回拍手し、最後に2回礼をする。

この最初の礼と拍手は、神様に対する「感謝とお礼」のための動作です。

  • ○○が上手くいってます。ありがとうございます。
  • ○○に合格できました。ありがとうございます。
  • 今年も健康で過ごせました。ありがとうございます。

このような日々の出来事のお礼をする場所であり、決して個人の欲望をぶつけるところではありません。

それにも関わらず

  • 「お金持ちになれますように」
  • 「今年こそ結婚できますように」
  • 「健康でいられますように」

こんな事をついつい一番最初に言ってしまうのです。

そして日々の感謝など全くと言っていいほどしないし、昨年の正月に願った事が叶ったとしても、それのお礼すら言わずまた新たなお願いを・・・と欲望をぶつける事しか頭にありません。

そして大体はこんな願いなど叶わないのです。

では誰が願いを叶えてくれるのか?

前提として

「神様が願いを叶えてくれるわけではない」

では誰が願いを叶えてくれるのか?というと、これは間違いなく

「自分自身」

ということになります。願いの叶え方を神様があなたに1から10まで手取り足取り教えてくれるでしょうか?

あなたは自分の意思で願いを決め、そしてネットで調べたり本を読んだり人に聞いたりして行動し、結果をフィードバックし、そしてまた挑戦・・ということを続け、最終的には願いを叶えます。

では何故「願いが叶う神社」が存在するのか

冒頭で叶う叶わないは神社によってあまり変わらないと書きました。

何故なら、「願いを叶えるのは自分自身」だからです。

子宝神社とか宝くじ神社なんてのも最近はあるらしいですが、男女が付き合わないとそもそも子宝どころの話ではないし、宝くじも買わなければ当たりません。

自分自身で行動し願いを叶えるしかないのです。

それにも関わらず、「願いが叶う神社」というのが存在する。

これは、その時願った事が本心・真心から出ているお願いなのか、それともその場の思いつきで考えた様な軽いお願いなのかの違い、そして無意識にその真心を出しやすい神社の環境なのかどうか?という違いです。

厳かな雰囲気で枯葉一枚も落ちていなく、周りの皆がはしゃぐ事なく無口で一点を見つめるような視線でお参りする様な神社は、お願いを投げかける時もその思いが深く脳に刻まれやすいです。

神社の環境によって脳に刻まれた願いの強さがその後の行動を左右する、と言った所でしょうか。

逆に電飾でビカビカ光ってパリピあたりがウェーイしている様な神社はどう思いますか?

そしてやはり願いの強さも関係してきます。

例えばこんな2パターン。

A君「○○大学に合格する!絶対に!絶対に合格する!そのためには何でもやる!」

B君「あー金持ちなったらいいなーなんか金くれよ金(棒」

この2人が同時に神社でそれぞれの願いを投げかけ、叶うのはどちらの方ですか?と質問したら、大体の人がA君を選ぶでしょう。

初詣の時にしたお願いを今でも覚えていますか?と前述しましたが、今でも覚えているという人は強烈な願いの思考が頭に刻まれて、今でもそれを叶えるための行動をしている事でしょう。

結論としては

「願いは自分自身にする物、神社はそれを脳に刻みに行くところ」

ということになります。

神社行く意味がないじゃん(怒

こういう人は神社に行く意味を履き違えている可能性があります。

前述の通り、まず神社は「普段のお礼をする場所」です。お願いよりも神様や自分自身の環境に対する感謝が優先します。

そして神社でお願いするときはちょっとしたコツがあるのです。

まず、神社に行ってお願いする事が普段から考えている願いなのか。

これが一番重要です。

受験の例を出しましたが、普段から考えていない願いなんかは願いの部類にも入らない妄想です。

神前でまず日頃のお礼を心で呟き、頭をクリアにします。

そして普段の願いを神前で心に呟きながら確認する。

こうする事であなたは大願成就に一歩近づく事になります。

叶いやすい神社、叶わない神社など存在しない

こうした事から、願いを投げかける自分自身の姿勢や思考が最重要であり、神社によって叶いやすい叶いにくいなんてものは、その時自分がどう感じたかによって左右されるものであり、神社ごとに分類されるものではありません。

冒頭の本はランキングとか表紙に書かれていますが、年によって効果が違ったり、ランキングされたりしたら神様の逆鱗に触れ(以下略

長々と書きましたがまとめると

神社で一番最初にすることは日々のお礼

自分の願望は普段から意識しているもの以外は効果なし

神社によって違いはない。自分がどう感じたかが全て。

ということになります。

私も普段観光などで大きい著名な神社である出雲大社や伊勢神宮など行った時には、とりあえず日々のお礼以外はしていません。

その時に叶えたい強烈な願いがあった場合は別ですが。

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