運の正体がやっと分かってきた話

運の正体

私の後輩に無類の女性好きがいます。彼は現在結婚しているのですが、他に週末嫁などもいるとんでもないヤリチ○であります。彼が若い時、皆彼に対し「異性運強いねー」とか「強運の持ち主」とか言ってた記憶があるのですが、最近改めて彼と色々昔話をしてみたところ、運の正体とはこの様な物だったのかと感じた話です。

後輩はとんでもない運勢の持ち主だった?

彼は私と10歳ほど歳が違い、長らく同じ職場だったこともあり可愛がっていた後輩の一人であります。彼はそこまでイケメンと言うほどではないのですが、雑学の話が好きで、当時流行っていたトリビアの泉の影響もあり「へぇーへぇーw」と感心しながら彼の話を聞いていた記憶があります。

私も彼も若かった頃、世間話の流れで女性関係の話を振ってみたのですが、とんでもない答えが返って来たので、私は驚いてしまいました。

後輩君
後輩君

あ、俺今3人くらい(彼女が)いるので

ニート君
ニート君

はぁあああああ????

別格でモテるような雰囲気でもなく、どこにでもいそうな言わば「フツメン」の彼がなぜそんなにも女性をグヌヌヌと感じたのですが、周りの人達もこの事は知っているようで、彼ら曰く

「彼は強い女性運の星の下に生まれたのだろうw」

と言う感じでした。

ところが、最近改めて彼に昔のことを聞いてみると、運とは全く関係なさそうな彼の恐るべき力に脱帽したのです。

彼の女性運の正体とは○○だった

当時のことを聞いてみると、彼女が常時複数いて楽しかった思い出よりも「忙しかった」と彼は言います。

それはそうだろう、と思ったのですが、当時の彼の忙しさは私の想像を遥かに超えてきました。

朝起きてすぐメールをcheckし、割と長文のおはよう挨拶をそれぞれの彼女の性格に合わせ文面を変えて送り、仕事中も抜け出して彼女に好きだよメールを送り、仕事終わりから寝るまでは全て女性の為に時間を使う。

例えば、恋人Aと買い物に一緒に行き料理を作り夕食を食べて、その帰り道に彼女Bに連絡をしつつもう一台の携帯で彼女Cに会いたいメールを送り・・など私のような筆無精で面倒くさがりの人間は呆気に取られるような忙しさで彼女達をハンドリングしていたのです。

なぜそこまでしたの?と聞くと、彼は「女性以外に興味なかったのでw」とあっけらかんと言います。

当然バレて修羅場になることは何回か有ったようですが、複数のうちの一つが無くなった所で彼には影響なし。欠品パーツを補充するような感覚で新しい彼女候補にアプローチをかけるのです。

私はその昔話を聞きながら感心すると同時に、彼の周りの人間が昔言っていた「彼は女性運が強いから」と言う一節を思い出したのです。

彼は運が強いのではなく、エグいくらいの行動力で試行回数を増やし、結果として何人もの女性をGETできていたのでした。

我々が「運の強弱」と呼んでいた物の正体は、実は「単純な試行回数の大小」なのでは、とこの時に思ったのです。

行動力は運を凌駕する

私が彼に、「昔、女性運が強いと皆が言ってたよ?」というと、彼は「そんな事気にしたことないですw」と言うのです。

そんな事を考える余裕すらなかったと言った方が正しいのでしょう、どうやってこの女性を自分の物にするか、それしか考えていなかったのです。

その為に彼はトライ&エラーを私の常識の遥か上の回数で繰り返していました。

そんな常識はずれの試行回数ですから、当たりもポツポツと出だし、いつの間にか実力も付いて「たまに当たる」から「当たるのが当然」レベルにまで昇華できているのです。

圧倒的な試行回数の前に、運なんて物はただただ無力、むしろそんなエピソードを知らなかった私たちが単に彼の結果だけを見て「運」と呼んでいたのでした。

自称不運な人は試行回数が圧倒的に少ない

私たちは何かに挑戦しようと思い立ち、一回やってみたけど散々な目に遭って「ダメだった」と言い、以降その事については触れもしない思い出したくもないような事を経験したりします。

ここで自称不運な人はそれがトラウマになったりして、挑戦から逃げ続ける事を選んだりする人生を送り続けるのです。

そうすると絶対的な経験数が少なくなり、他の事象に遭遇した時の引き出しが少ないので、臨機応変に立ち回れず、結果失敗してしまうというのはよくある話です。

よく聞く「私は男運がない」なんて話す人はトライはするのですが、エラーが出た時に原因も探さず修正しようとも思わず、同じことを何度も繰り返しているのでしょう。

また、遊び上手は仕事上手なんて言葉もあります。

遊んでいく上で成功、そして成功の倍以上の数の失敗から学ぶことも多大にあり、トライ&エラーの回数が多い人ほどそれが経験・知識となり他の事にも応用できたりするのです。

運の正体とは結局なんなんだ?

私たちは圧倒的な試行回数を行える行動力の有る方の一部分だけをみて「運がいい」と呼んでいるに他なりません。

彼らは運が良いのではなく、圧倒的な行動力で何度も何度も色々な事をやっているだけなのです。

自分で「よっしゃ運が良かった」と思えることも、実はそこに至るまでに色々な経験をし、そこから得た知識で選択した結果が自分の思っていた通りと合致した、ということも多々あるでしょう。

そして、不運と呼ばれる物も単純に原因と結果がある物だと言う事です。

自分が不運だと思っている人は単純に試行回数が少ないだけか、制御できなかったものを不運という言葉で片つけたいだけなのでしょう。

この様な方は、宝くじとか交通事故など偶発的な事象にも運を結びつけたがります。

この辺の事は次回に書いてみようと思います。

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