秒速で幸福を味わう方法を日々実践中

秒速で幸福

先日会社のトイレで用を足し終わった時に、「あ、俺恵まれているわ」と感じることがありました。これに限らず色々な所で「恵まれている」という事を感じることが多いのですが、それにしても何故トイレで恵まれてる感を感じる事が出来たのかという話。

会社のトイレで感じた幸福

会社のトイレで用を足し、その後流した時にふと「あ、俺今恵まれているわ」と感じました。何が恵まれているかというと

  • ボタンを押すだけで水が流れ
  • 拭く紙も常備され
  • 水が大量に出てきて便器を洗い流してくれる
  • しかも上記は全て無料

は?そんな当たり前の事では?と思う方もいるかも知れませんが、では逆に聞きたいです。

何が当たり前なのでしょう? と。

公共施設ならいざ知らず、会社のトイレには紙が常備されて、しかも割と清潔で、ボタンを押したら水が流れ、しかも無料で使える、さて、これは誰が準備してくれて誰が掃除をしてくれて、誰が水道代を払ってくれているものなのか。

そして何故私がそれを無料で当たり前の様に使えるのか。

私が今まで考えていた「当たり前」だと思っていた会社のトイレをよくよく覗いてみると色々な人が労力を使い、お金を出し、快適に使えるようにしてくれる。

今まで当たり前だ、当然だ、と思っていたこんな所に幸せ、充足感が転がっているとは思ってもいませんでした。

一時期、トイレの神様というものが流行り、トイレを清潔にしていると幸運が舞い込むなんて話もありましたが、それとはちょっと違う類の話ですね。

身の回りには気付きもしない幸福が転がっている

こんな事を日々考えていると、自分の身の回りはなんて恵まれているのだろうと感じることが多くなります。

一個一個あげればキリがありませんが、会社にいる時も、家に帰る途中でも、家で寝っ転がってYouTubeを見ている時ですら、私たちが生きていけると言うことは色々な人が労力を使ってくれたおかげで成り立っている物なのだろうな、ということを痛感している次第です。

そしてその数たるや、ほぼ無限にあるのではないでしょうか。

私が社内ニート業務に励めるのも、それを命じてくれた上司のおかげであるということです。もう上司には足を向けて眠れません!

幸福感を感じている時は不幸だと思わない

また嬉しい事にこのような事を考え出すと、ちょっとした不幸事が気にならなくなります。

株でそこそこの損失を出している時も、一車線の道路で混雑の先頭が制限速度以下でだらしなく走っている時もあまり気にならなくなりました。

人間の脳は2種類の事を同時に考えられない、とは言いますが、対極にある「幸福」と「不幸」ではなおさらで、幸せを感じるのと同時に不幸を感じるなんてことは出来ないのです。

そう考えると、常にこの様に何か小さな幸福を感じていると、不幸な事などこの世にあるのか?という状態になるのではないでしょうか。

私はまだそこまでの境地には達していないので、どうなるかはわかりませんが、少なくとも今の所生活で起こりうるゴタゴタは不幸だと思わず消化できている次第です。

前まではイライラするような日経平均の下げも積み立てNISAの目減りも全く気にならずに「ふーん」と流せる領域までは来ているのですが。

当たり前と思ってる物に目を向けてみる訓練

こんな小さな事でも幸福感を感じてみると、今目の前にある全ての物が当たり前にあるこの状況に感謝したくなります。

例えば私はこれを見ている皆様同様、日本に生まれ、そして育ちました。

1週間何も食べられないとか困った事もないし、治安は良いし内戦などもどこか遠くの世界の話。

インフラも整っている、贅沢さえしなければ何も不自由がなく、世界最強クラスのパスポートを持てるし、主要通貨である円があり、どの国に行っても両替に困ることはなくetc

いわゆる「国ガチャ」で私は大当たりを引いた状態です。

こんな「当たり前」が日本にいると分からないですが、そうでない国の方が多いのです。

日本終わってますよね、なんていう人は海外に行った事も世界のニュースを見る事もない人なのでしょう。

こんな所に目を向けるだけで、「自分人生大当たりすぎて困る」という幸福感に包まれる事でしょうw

この様に今まで当たり前だと思っていた事は、本当に当たり前なのか?と1日1回くらい考えてみると、思考の幅が広がり、視点が変わり、行動が変わり、結果が変わってくると思います。

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逆に秒速で不幸になる方法もある

このブログでも何回も出てきている話だと思いますが、秒速で不幸になれる方法があります。

それは他人と自分を比べること。

人間というのは他人に比べ優っている物よりも、どちらかと言うと劣っている事の方が簡単に見つかりやすく、それを考えると「自分はあの人に比べなんでダメなんだ」とか「あの人は○○なのに自分は・・」とか考えなくても良いことを考えてしまいます。

と言うか比べなければならない理由を考えてみると、そんな必要が全くなかった事に気付くはずです。

意味も価値もなく、且つ軽く自傷気味のこの行為、さっさと卒業してしまいましょう。

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